「読む」という行為を省みる

ホッテントリのd:id:Hash:20090109:1231501051ね。

「自分の読書スタイルを考えたかっただけ」といいつつ、本筋でない面接のネタを投下してそっちで大量に釣ってしまうid:Hashの釣りのうまさに脱帽する。見習いたいものです。

私はこれにツッコミを入れるというより、普段どんな読み方をしているかを分類して言語化し、本の読み方に対する考察としたい。

飛ばし読み

「本」と言いつつ最初は本の読み方ではない。ホッテントリ入りしているからとりあえず見てみたものの、あまり興味のある議論ではなかったので、さらっと文章の面をなでるような読み方をするというパターン。似非フォトリーディング。使われている言葉だけはところどころ目に入るが、議論の展開など知ったことかという読み方。いわゆるフォトリーディングがこの境地を越えてちゃんと話の展開が頭の中に入ってくるものなのだとしたら驚異的なのだけど、私には信じられない。

自分のお金で買った書籍でこの読み方をすることはまずない。

流し読み

文章の流れを追っているが、それだけにとどまるパターン。一応短期的には記憶に残るが、読書の質としては低い。疲れている時はそうなりやすい。小説でこの読み方をしてしまっては全く面白くなくなってしまうので、それはやらないようにしている。ブログなど、普通の論説であまり面白くない時はこの読み方。自分で買った本ではできる限り避けるようにする。しかし逆に、こういう読み方をしている時のほうが、粗捜しは上手になるかもしれない。

熟読

文章の流れを追って、言葉が描く状況をしっかりと頭の中にもイメージできるような状態で読み進められるパターン。小説は少なくともこの段階に達しないと楽しめない。だけど実は体力の必要な読み方。刺激的な本を読んでいる時は、頭の中がその本の各センテンス、各段落に対してひっきりなしに気づいたことをコメントしてしまう状態になり、大変楽しい。自己表出の嵐。これをそのままアウトプットできたら面白いのに、と思うこともよくある。

精読

熟読の状態に至ってもなおこれが一体何を意味するのかがわからないとき、そこで立ち止まってしばしその意味について沈思黙考したり、前のページを振り返ってみたり。あるいは自分で議論を再構成しようとしてみたり、本で強調されている観点に立って、もう一度その節を読み返してみたり。教科書を読む時などがこの状態に相当する。特に「再構成」のプロセスは、書いてある知識を自分の道具として使えるようにしたいときには欠かすことができない。本当に理解しているかどうかというのは、そこまでいかないと試されないからだ。

再読

一度読んだ本を、読んでからしばらくして、また最初から最後まで通読すると、なぜか新鮮に感じられる。感じられなくて読むのをやめる時もある。再読したくなる本に出会うことは読書の愉悦のうち最たるものだと思う。

まとめると

自分にとって大事な情報だけつかむぜ!というよりは、本の世界に入り込んで楽しみたいタイプなのだなぁと思わされる。なので、ここで上げた分類も、きわめて普通で、新鮮みがないでしょう。すみません。ちなみに、「ご冗談でしょう、ファインマンさん」は再読ランキング上位。