これから大学に入学する新入生のためにならない話

先輩ってなにでてきてるの?おせっかい 自慢 それに自分にしか通用しない体験談 そんなこんなでできてるわ。

3月10日は東大をはじめとする国公立大学前期試験の合格発表でした。晴れて合格された方々、本当におめでとうございます。残念な結果に終わってしまった方、どうか落ち込まず前向きに。

このエントリを書こうと思ったのはこれから大学に入学する新入生のために - かねどーのブログを読み、自分にも思うところがあるのでただ書いてみたいと思ったからであって、この春から大学に入学される方に言いたいことがあるからというわけではないのです。読んでいただけると嬉しいですが、どうせ大事なことは身を以て知るしかないので読まなくたって何の問題もありません。長いし。

「終わりよければすべてよし」と言います。使い古された言葉ですが、後付けで自分のやってきたことを納得するという意味では一理ある言葉のように思います。大学生活の終わりは卒論書く(あるいは卒業研究する)ことです。つまりいい卒業研究ができればよい。ではいいとはなんでしょうか。卒論の段階でプロの研究者も認める高度な内容とかはまずあり得ないことだと思っていいと思います。この時点で「よさ」の基準をそういう水準に持っていくのは早とちり。プロ研究者になるにはそこからさらに標準的には5年のトレーニングが少なくとも必要とされているのですから、そのことを悪く感じる必要などない。ですから、この場合のよいとは自分が納得できるという意味だと思って話を先に進めたいと思います。

自分が納得するっていうのは、自分が居場所を与えられ、そこでそれなりにがんばったという感覚を持てるということだと思うのです。もっと言えば、自分が達成できそうな自分ならではの目標を立てて、それを達成する。求められる結果を出すのに努力は必ずしも必要ではありませんが、自分の納得のためには努力は必要かと思います。ここで居場所というのが研究室だったりゼミだったりするわけですね。

実は大学が学生に向けて巧妙にしかけた罠は、何もしなくても自動的にこうした居場所は手に入るってところなのです。何もしないで居場所が与えられると、そこにいるのが申し訳ない気持ちになるのです。なぜかというと研究室とかってみんな普段それぞれの仕事してるからです。一旦申し訳なくなると、いくら他の人が大丈夫だと言っても嘘くさく聞こえ、ますます自分で自分を追いつめるようになる。そんな状態では「納得して大学生活を終えよう」なんてポジティブな気持ちになんて到底なれません。まわりの人が優しければ優しいほど、仲間と顔をあわせたくなくなって、大学に行かなくなる。チェックメイトです。なんて恐ろしいのでしょう。

つまり、これを回避するために自分がここにいて大丈夫だと思える程度には勉強しなくてはいけないのですね。勉強しなくてもそういうパターンに陥らないし、まわりの人から怪訝な目で見られても大丈夫なだけの強靭なメンタリティをお持ちの方なら別かもしれません。あくまで気持ちの問題です。もしいくらがんばってもそう思えないなら、これからの円滑な生活のためには自分のメンタリティについて深く見つめ直す必要があるかもしれません。

ついでに言っておきたいことが。単位取得や卒業の条件を厳しくすればいいとかそういう議論がたまにありますが、それは決定できる立場にいる人、つまり教育をする側の責任や矜持に関わることなのであって、あまり学生が気にすることはないと思います。たまに気にして自分を縛ってしまう学生いませんかね。いなければいいのですが。厳しかったら運が悪いくらいに思ってればいいんじゃないかなぁ。

ところで強靭なメンタリティと書きましたが、既に居場所があって、そこでがんばれば自分の望み通りの将来もちゃんと開ける、そういう自覚がある人なら、そこでがんばればよいと思います。許された自由な時間を、そういう場所を見つけるのに使うのもいいと思います。それぞれに与えられた自由な時間をああするのがいいだとかこうするのがいいだとかは余計なお世話だと思います。あえて言うなら時間の許す限り遊んで楽しむべきだと思いますよ。自由に遊んで、それで人とのつながりも生まれるんだとしたら、そこから可能性って最も広がる感じがしませんか。どんどん外にでようとか言いますけど、同意しかねる部分もあります。知らなくて損することってあるかもしれないけど、自分が積極的になれることって自分の望みと関わってたりしませんか。自分がすでに出会っていていいなと思っているそれを時間をかけて大事にするってことだって価値があります。そうして広い意味で深いオタクにならないと出てこないすばらしい表現って絶対あるんです。

理想的にはそう思ってるのですが、自分の好きなタイミングじゃなくてみんな一斉に「就活」がやってくるので、まあ実際には将来のこととか早いうちに考えておかないといけない。でも、こっちが望まなくても研究室配属などやってくるので、実はあらかじめちゃんと考えておかないといけないのは同じことなのですね。「研究」も一つの道ですから、そこは同列に考えるのが良いんじゃないでしょうか。器用に行きたいなら早め早めで。

でもまあ考えておかないといけないといったって、考えておかなきゃどういうことになるか知っててあえてやらないのであれば別にいいと思いますし。知らなくて考えなくて痛い目見たとしてもしょうがないですよねー。自分の無知とか誰のせいにも出来ませんもんね。かなりひどいことになるかもしれませんがしょうがない。死ななきゃ大丈夫です。

ぐだぐだな乱文失礼いたしました。そんな感じです。